行政を批判したりジェンダー論を語ったりなどしたら、相手に「思想つよw」と返された、みたいな話をよくSNSで見かける。

この「思想つよw」というのは、いわゆる思考停止ワードの一種だろうと思われる。思考停止ワードというのは、その名のとおり思考を停止させる機能を持つ言葉のこと。たとえば、こんな言葉がある。

  • 仕方がない」: 問題を解決するための思考を放棄するときに使われがち
  • みんなやってるし」: 具体的な根拠もなく行動を正当化するときに使われがち
  • それも一つの意見だよね」: 理由のある主張を、単なる一つの感想に格下げして相対化するときに使われがち
  • 考えすぎ」: 相手の指摘を過敏な反応として片付け、検討そのものを放棄するときに使われがち

これらの言葉を使うことによって、行為の正当性・妥当性などを検証する物理的・心理的カロリーが強制的にカットされる。言うなれば、ゼロカロリー言語だ。

主張の検証を瞬時に放棄できるという意味で、「思想つよw」もまた思考停止ワードだと言える。それだけじゃなく、主張する相手を「偏った人」だとラベリングすることもできる。あと「w」を付け加えることで、真剣に扱う必要のないこととして矮小化もできる。考えてみれば、かなりアグレッシブな打ち消し語だ。

思考停止ワードで思考をストップするイメージ

「思想つよw」は、どういうときに使われるか

実際のところ、どういうときに「思想つよw」が使われるのか。具体的にはこの辺りだろうか。

  • 政治的・社会的な意思表示をしたとき
    SNSで「戦争反対」のタグを付けて投稿したり、イスラエル支援企業をボイコットしたり、リベラルな意見(夫婦別姓やジェンダー平等など)に賛成したりなど。
  • 極端なライフスタイルを表明したとき
    オーガニックのものしか食べない、どんなときも黒い服しか着ない、どんなときも絶対に割り勘などなど。
  • 内容はどうあれ、とにかく主張を最優先にするとき
    誰かが「ランチの唐揚げ美味しかった」と投稿しただけなのに、「畜産業の環境負荷や動物福祉についてどう考えているのか」といったリプライ(いわゆるクソリプ)を送るなど。

2つ目の例はツッコミ的な要素が強いかもしれない。ただ「ところかまわず」なスタンスが、3つ目のクソリプとも共通していて、その頑なさがまさに思想の「強さ」を象徴していると思う。

一方で、1つ目の例についてはたしかに「思想を持っている」とは感じられるものの、とりわけ「強い」と言える根拠はないようにも思う。

思うに、「思想つよw」という打ち消し語は、「主張の強さそのものに対する反応」というわけではないのではないか。

とくに1つ目の例のような場合、「自分の生活を侵食されること」に対するある種の危機感が湧き、それに伴って「考えたくない」という拒否反応が生まれるのじゃないか。だからこそ単なる思考停止ワード(「そういう考えもあるよね」など)ではなく、より攻撃的な「思想つよw」という言葉で牽制するのではないか。

デモでシュプレヒコールをする市民のイメージ

社会を正当化したい心理

たとえば普段よく利用するファストフードチェーンがあって、一方で「平和のための連帯活動としてボイコットしている」という人がいたら、なんとなく自身の生活にケチをつけられた気分になるかもしれない。

たとえば街角で政権批判のシュプレヒコールを耳にしたら、なんとなく自身を「無関心層」とラベリングされた気分になって、ほのかに罪悪感が立ち上がるかもしれない。こういう類の拒絶感については、筆者にもよく理解できる。

この危機感・拒否感は、「システム正当化バイアス」(Jost & Hunyady, 2005)でも説明できるかもしれない。

「システム正当化バイアス」とは、既存の社会ルールを「当たり前のもの」「正しいもの」と思い込もうとする心理のことだ。たとえそのルールが実際には不当であっても、むしろ擁護し正当化する人が多いのだとか。

この心理は、人間の基本的な願望が元になっている。それは「確実であること」「安全であること」「社会的に受け入れられること」。つまりそれがどんなルールであれ、波風を立てず周囲と足並みを揃えている方が心理的にラク、ということらしいのだ。

穏やかな波のイメージ

「思想つよw」は、ある種の本能かも

さらに、3つの「正当化したい気持ち」がこの心理を支えているらしい。

  • 自分自身を正当化したい気持ち
  • 自分の所属する集団を正当化したい気持ち
  • 社会のシステム全体を正当化したい気持ち

常に自分や社会を懐疑的に眺め続けるのは、普通に考えてしんどい。「これでいいんだ」と思えるなら、たしかにそれが一番ラクだ。

加えて、こんな知見もある。

社会集団というのは一般的に、差別や不正義を訴える人、現状に挑戦・改革しようとする人を低く評価する傾向があるそうなのだ(Jost et al., 2010)。

これらのバイアスが維持されるとき、「安心な日常」を脅かしかねない思想に危機感と拒否感を覚え、さらにはその相手を軽視する心理も働く。既存システムを疑う主張に対して「思想つよw」という打ち消し語を向けたくなるのは、もはや現代人の本能と言っていいのかもしれない。

危機感と拒否感を覚えるイメージ

「現状を維持したい」という思想

ただ、「どんな社会かに関わらず、とにかく現状維持を優先したい」という思想もまた、ひとつの社会的スタンスである。

しかもこれが、本能とも言えるような強い心理作用に支えられた思想であることを思えば、むしろこっちのほうが「思想が強い(強固)」と言えるのじゃないだろうか。そのことがフィーチャーされないのは、単にそのスタンスが多数派だからというだけに過ぎない。

そういうわけで筆者は、「思想つよw」と言ったり言われたりするとき、この言葉は常にブーメランになりうるのだ、ということを意識してみようと思う。まあ、意識したからどうなのだ、という話でもあるのだけれど。

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